実力も運のうち 能力主義は正義か?

SNSを多くの人が使うようになり、不特定多数の人と繋がることが多くなりました。
もちろんそれによってたくさんの恩恵を受けているのですが、
その反面、他人に攻撃する人の姿も目立ち、ギスギスした世界になってきていると感じています。

そこで読み始めたのがこの書籍です。
この書籍では、社会的な絆やお互いのリスペクトが、
数十年の歳月を経てどのように崩壊したのかを紐解いています。

特に絆やリスペクトが崩壊した大きな理由として「能力主義」が挙げられています。
義務や権利の履行という点ではなく、貢献度や頑張り、利益(メリット)のような、
能力によって評価され、それが重視されていることを問題としています。

例えば仕事をしている人と家事や育児、料理なんかをしている人がいるとして、
仕事をしている人の方がお金を稼いでいるからエラいんだ。というのは能力主義的な考え方です。
でもこのように評価してしまうと、家事や育児をしている人は能力がないということになり、
それは無能という烙印を押すことになり、その人の尊厳を大きく傷つけることになります。
そしてそういった評価をしたからといって、
無能という烙印を押された人からのリスペクトは得られないと思うのです。
もちろん仕事をしている人からも、無能と評価した人へのリスペクトは生まれません。
こういった評価が至るところで起こっていて、その結果、
お互いをリスペクトすることがなくなっていき、ギスギスしているわけですね。

お互いを大切にするような関係を築くためには、そういった能力で評価するのではなく、
義務や権利の履行に対して評価を行うことです。
家事や育児、料理をするといった「義務」を果たしたこと自体が立派なことで、
お金を稼いでいるかどうかは二の次なのです。
お互いがそのように考え、評価することで、尊厳を傷つけず、
「優しい世界」を作っていくことができるんじゃないかなと思うのです。

特に最近ではAIを使ってプロンプトと呼ばれるテキストメッセージから画像や音楽、動画などを作成できるようになったり、疑問に思うことはChatGPTを使えばAIがそれらしい答えを教えてくれます。
そういったテクノロジーをここ最近ずっと使っていて思うのは、私たちが持っている能力による差はAIが埋めてくれるのではないか、ということです。
私と絵描きさんの間にはイラストを作るという点で大きな技術的な差がありました。
でも今では細かいことを抜きにすれば、その差は随分と縮まったように思います。プログラムでもその内、差は埋まっていくでしょう。
そういうことが当たり前になると、もはや能力で人を評価することはできなくなり、別の基準が必要になってくるのではないかと思います。

それが面白いことを企画できることなのか、人脈を持っていることなのか、一緒にいて心地よいことなのか、もしくは義務を果たすことなのか、それが何なのかはわかりません。
でも今まで強く信じられてきた能力による評価が崩れる時、どんな新しい評価が生まれるのか、とても楽しみです。

ABOUTこの記事をかいた人

フリーランスとして働く、フルスタックエンジニア 初崎 匠のサイト。仕事のことから趣味のアニメーション制作、英語学習など、様々なことを通じて、少しでも多くの人が幸せになれるような価値を提供できるよう挑戦し続けます。